氣稔柱療法
医師に見放された人たちが、
生きる希望を取り戻す「氣の療法」
「特殊な棒で身体をこするだけで
病気が治るなんて」
「癌、アルツハイマー、リウマチ、
アトピー性皮膚炎、肝炎、突発性難聴、
顔面神経麻痺、剥離骨折、子宮内膜症、
椎間板ヘルニア、糖尿病、冷え性、花粉症…
あらゆる病気の罹患者がこの療法で激変した」
「癌を治すとは決して言わないが、
『癌が消滅した』『癌の痛みが和らいだ』
『抗がん剤の副作用が抑えられた』
など癌治療の一助になり、時として大助になる。」
「抗癌剤の副作用で
吐き気と倦怠感がひどかったが、
最初の施術を受けた後、
吐き気がピタッと止まって
嘘のように身体が軽く楽になったんですよ。
行くときには息を切らせて
何度も立ち止まっていたのが
帰りはスタスタと歩けました。」
「肺癌のために呼吸が苦しく、
首を絞められて生活している
感じになる時がありますが
施術を受ければ、
スーッと空気が流れる感じになり
その場で呼吸が大変楽になります。
『このまま死んじゃうんじゃないか』
と絶望的になるほどの強烈な痛みも
施術を受けるとスーッと取れます。
強烈な癌の痛みは鎮痛剤ではとれませんし
たとえ薬で痛みが軽減したとしても
身体のだるさは残ります。
ところが、この鎮痛効果は
薬の比較にならないほど絶大で
即効性もあり、
心身がとても爽やかになるんです。」
「痛みが取り除け、なおかつ副作用がない療法ー
これこそ癌患者の「QOL」を
維持・向上させるために、
いまもっとも求められている。
私はその治療法の筆頭格が
この療法であると思うのだ。」
「身体が驚くほど
すっきりと軽くなる経験をしました。
治療中に良い気が流れはじめ、
『生きなさい』と言われているような
感覚になりました。
自分自身にある生命力に気づきを与えられる
という感じでしょうか。
東洋医学というのは、
西洋医学の対症療法と違って、
長期間かけて免疫力を高め、
自分の生命力に気づきを与えるもの。
生きていく力に対してメッセージを与えてくれる
と表現されますが、そうした感覚です。
『お前の生命力に気づけ』というエネルギーを
与えてくれる自然の命の職に対して、
エネルギーを通して与えてくれるのだと思います」
「椎間板ヘルニア」
激痛で1ヵ月間動けなかったが、
1回の治療で歩けるようになった
病院では「椎間板ヘルニア」と診断され、
ブロック注射も効果がなく、
医師からは「手術の成功率は50%」と言われ、
手術以外の方法で治すことに決めた。
だが、痛み止めの薬を服用しても
痛みは一向に取れなかった。
眠るために横になるのも辛い。
立ち上がるどころか、
上半身を起こすこともできない。
身体を前に曲げた状態で
やっとの思いで歩くため、外出もできず、
トイレに行くのも
困難な状態が約1ヵ月続いた。
腰の痛みで動けない状態だったため
自宅に来てもらった。
「背中をさすられたとき、
針金のタワシでゴシゴシ擦られたような
強烈な痛みを感じました。
ところが約10分間治療していただくと、
うつ伏せに寝られるようになりました。
約40分間の治療が終わると、
その場で歩けるようになったのです」
遠出ができるようになり、
翌年にはゴルフコースで
プレイを楽しむまでに回復した。
現在は長時間スタスタ歩くことができるという。
「頸部脊柱管狭窄症」
手術をしないと車椅子と言われたが、
手術をせずに2ヵ月後には仕事復帰
手足の痺れ、歩行困難、
全身の皮膚感覚の麻痺などの症状で
整形外科を受診した。MRIなどの検査により、
「頸部脊柱管狭窄症」と診断され、
「放っておくと車椅子(生活)になる」と
手術を勧められた。ただ、
「手術には危険性もあり、成功しても
神経が元に戻るかどうか分からない」
との説明を受け、手術を躊躇しているとき、
知り合いから勧められた。
「最初に行ったときは、脊髄反射のせいで
足がブルブル、ガクガクと震え、
厚いスポンジの上を歩いている感覚でした。
人ごみで人をよけることもできず、
右手の麻痺で電車の切符を買うときに
小銭もつかめませんでした。
身体がすごく冷えるのに、
全身の感覚も麻連しているから
風呂に入ってもお湯の温かさが
まったく感じられず、神経麻痺によって
トイレが我慢できないなどの
排尿障害もありました」
最初の治療時は、あまりにも熱くて、
「焼け火箸」に感じられたという。
「極太の鍼を身体中に刺しているのか」
と思うくらい痛かった。それが1回目の治療後、
背屈すると足が無意識にプルプル震える
脊髄反射が治まった。その夜、
家で風呂に入ると、お湯の温かさが分かった。
週に3、4回のペースで治療を続けた結果、
手足の痺れも取れ、
普通に歩けるようになった。
治療開始2カ月後には仕事復帰を果たし、
梯子を使った高所作業なども
できるようになったという。
「仕事復帰から1年後、
外出先でたまたま初診でかかった
整形外科医に再会したんです。
私の姿を見て、『手術したんですね』
と言うので、
『していませんよ。自力で治したんです』
と答えると、医者は驚いていましたよ」と笑う。
「手術をしないと車椅子(生活)になる」
と宣告されてから13年後の現在、
昼間は工事現場、夜は図面と見積り、
日曜日は営業回りという
ハードワークをこなしている。
毎日の睡眠時間は3、4時間である。
しかしどんなに忙しくても療法をつづけ
「いまは健康にまったく不安がありません」
と言う。
「棘上筋断裂」
痛み止めでも取れない激痛が
2回の治療で消失し、棘上筋がつながった。
若い頃、アメリカンフットボールで
何度も左肩を脱臼しているうちに
脱臼癖がついてしまい、
長年、慢性関節亜脱臼と付き合っていた。
あるとき乗馬中に落馬し、
またも脱臼すると、
これまで感じたことのない
強烈な痛みに襲われた。
大学病院でMRI検査をしたところ、
肩と腕をつなぐ棘上筋が
断裂していることが分かった。
医師から
「一度断裂した棘上筋が
元に戻ることはない」
と言われ、手術を勧められたが、
「手術をしても100%治る保証はない」
とのことだったので、手術の決断を保留し、
ペインクリニックで週に1回の
痛み止め注射を6カ月以上つづけた。
しかし痛みは取れず、
左手は後ろに回すこともできず、
激痛が走るため
ポケットに手を入れることも不可能だった。
ゴルフのクラブチャンピオンに
5回もなったほどアマチュアゴルファー
として活躍していた。棘上筋断裂後も
ゴルフをするときがあったが、プレイ前に
ヒアルロン酸注射と
硬膜外ブロック注射を打ち、なおかつ
昼休みにボルタレン錠を飲まないと
痛くてスイングができなかった。
翌年、知人の紹介で訪れると、
痛みの取れ方に驚いたという。
「1回目の治療から劇的に痛みが和らぎ、
腕も動くようになり、
2日後の2回目の治療後には
完全に痛みが取れ、
左腕が後ろに回るようになったんです。
3回目の治療後にはゴルフに行きました。
まったく痛みがないので
本来のバックスイングができ、
なんと、パープレイで回りましたよ」
棘上筋の状態を確認するため、
4ヵ月後に大学病院で
MRI検査を行ったところ、
断裂していた棘上筋がくっついていた。
医者は
「あそこまで損傷していた棘上筋が
治るということは考えられない」
と驚いていたという。
「スポーツマッサージや鍼の延長で
対症療法なのかと思っていましたが、
わずか2回の治療で痛みが消えたとなると、
対症療法ではなく原因療法ですね。
本来の免疫能力、再生能力を高める効果が
あるのだと思います」と話している。
「飛蚊症」
一回目の治療後にそれまで
両目とも真っ暗になるほど無数に見えていた
オタマジャクシがほとんど消えたので
本当にビックリしました。
痛みに即効性があることは実感してましたが、
医学的に治療法がないと言われている飛蚊症にも
即効性があるとは思いませんでした。
治療を受ける度にオタマジャクシは全部消えます。
以前から施術を受けると手がありましたが
邪気が抜けていく感じはありましたが
飛蚊症になって目のところの施術を受けると
目の中に飛んでいるオタマジャクシが
目の外に飛んで出ていくんです。
「関節リウマチ、膠原病」
どんな薬でも痛みが完全に消滅することは
ありませんでしたが
施術を受けると、
手首や膝の痛みがその場ですっきりと消えます。
以前は夏でも手足が冷たく、
痛みと疲労で30分以上同じ姿勢でいられず
年中重い身体を引きずって歩いていましたが
施術を受けると全身が足の先まで温かく
20代に戻ったかのように身体が軽くなりました。
心が安らぎ、
今では一日中立っていられるほど元気です。
「顔面神経麻痺」
物を噛めず、噛めても喉に入らない。
食事が困難なだけでなく
食べ物や飲み物の温度もわからない。
いつも能面のような表情なので
伏し目がちになった女性が、
「顔を重点的にやっていたいただきましたが
最初の施術後、
出していただいたお茶が飲めたんです。
こぼさないでお茶が飲めたのは5年ぶりでした。
しかもお茶の熱さが
右の口でわかったんですよ。
この病気になって、
初めて治るという希望が持て
本当に嬉しかったですね。」
「痛みが取り除け、なおかつ副作用がない療法
ーこれこそ癌患者の「QOL」を
維持・向上させるために、
いまもっとも求められている。
私はその治療法の筆頭格が
この療法であると思うのだ。」
身体が驚くほど
すっきりと軽くなる経験をしました。
「治療中に良い気が流れはじめ、
『生きなさい』と言われているような
感覚になりました。
自分自身にある生命力に
気づきを与えられるという感じでしょうか。
東洋医学というのは、
西洋医学の対症療法と違って、
長期間かけて免疫力を高め、
自分の生命力に気づきを与えるもの。
生きていく力に対して
メッセージを与えてくれると表現されますが、
そうした感覚です。
『お前の生命力に気づけ』
というエネルギーを与えてくれる
自然の命の職に対して、
エネルギーを通して
与えてくれるのだと思います」
「西洋医学も、
結局は全ての人間一人一人が持っている
生命力、自然治癒力をいかに高めてあげるか
という着眼点を忘れたものは、
ダメだと思うんです。
実際に痛みや疾病が治ったり、
クオリティー・オブ・ライフ
(いかにより良く生きるか)を、
気づかせてくださる先生の存在には、
心から感謝をしています」
「花粉症」
病歴30年以上の花粉症が突然軽くなった
花粉症を発症したのは40年近く前。
花粉症という言葉がまだ浸透していない頃で、
周囲から花粉症は珍しがられたという。
「僕はスギの木に囲まれた飛騨高山に生まれ育ち、
スギ花粉なんて何ともなかったのですが、
上京してしばらくしてから
花粉にアレルギー反応を
起こすようになったんです。当時は
「シティボーイになっちゃったからじゃないの?』
などと、よくからかわれました」
年によっては8月まで、
鼻水がダラダラ四六時中垂れていたという。
客の前で島水を垂らしているわけにいかないので、
毎日朝昼晩、市販の鼻炎薬を飲んだが、
ひどいときは薬を飲んでも
鼻水がツーッと流れ落ちてきた。
ハンカチは毎日3枚は持ち歩いていたが、
それでも足りないぐらいだった。
慢性的な肩のコリと痛みがひどくなり訪れた。
肩の痛みはすぐに取れたが、
疲労回復と健康維持のため、
毎週1回通いつづけているうちに、
思いがけない変化に驚いたという。
「その年の春から
花粉症の症状が突然軽くなったのです。
毎日3回飲んでいた薬も必要なくなりました。
鼻がムズムズすると感じたときは、
自分で鼻の穴に入れて治療すると
その場で鼻がスーッとし、鼻水が止まります。
目の辺りもさすると、痒みが治まってスッキリし、
とにかく目が良く見えるようになります。
僕の花粉症は有名でしたから、
みんな驚いていますよ」
他の病気の治療で足を運びながら、
花粉症の症状も改善されたという患者は多い。
「アトピー性皮膚炎」
53年間のアトピー地獄から
わずか1、2回の治療で解放された
生後10ヵ月から
アトピー性皮膚炎に苦しめられていた。
関節部を中心に身体全体が痒く、
搔きむしって身体のあちこちが血だらけになった。
15歳の頃にステロイド薬をはじめ、
約25年間、より強いステロイドを求めて
使用をつづけた結果、
「もう対処するステロイドがない」
と医師から言われ、40歳のときに使用をやめた。
その後は抗アレルギー薬を頻繁に服用した。
痒みが急速に激しくなった。
まったく眠ることができず、
睡眠時間はわずか30分程度という日が
3カ月以上つづいた。
「辛みの発作は我慢の範囲を超えるもので、
毎日毎日、地獄の苦しみでした。
特に関節の部分の痒みは
言葉では表現できないほど辛く、
骨の芯から悪いものが次から次に
湧いて出てくる感覚です。
アトピーとは皮膚の病気ではなく、
骨の病気だと思うほどでした」
そんな中、数カ月止まらなかった咳が
わずか1回で完治したという妹から勧められ、
「最初は身体に当たると、とにかく痛く
火傷しそうなくらいに熱かったんです。
同時にビリビリと悪いものがいっぱい
手足から出ていく感覚もありました。
ところが治療後は
全身がさっぱりし痒みがなくなり、
身体全体がものすごく楽でした。
その日は3カ月ぶりにぐっすり眠りました」
病歴53年のアトピー性皮膚炎が、
わずか1、2回の治療で痒みがほとんど消え、
約1カ月で皮膚がきれいになったという。
「私のアトピーは世界でもトップクラスで
ギネスに載るほどだと思いますが、
それがこんなに速く、劇的に治ったのですから、
『神がかっている』と衝撃を受けました。
『痒くても掻いてはいけない』という
アトピー治療の常識を覆し、
痒いところを擦れる点が画期的です」
と話している。
「子供のアトピー性皮膚炎」
休学するほどの皮膚炎が消え、
元のかわいらしい顔に戻った
小学校入学後、
皮膚の柔らかい場所に湿疹が目立つようになった。
皮膚科で「初期のアトピー性皮膚炎」と診断され、
軽めのステロイドの塗り薬を
使用するようになった。
しかしステロイドを塗った後は
湿疹が消えるものの、
使用を止めると湿疹が悪化して再発した。
「3年生になってから、湿疹が全身に
吹き出すようになってしまったんです。
顔も腫れてきて、元の顔がわからなくなる状態まで
ひどくなってしまって。常に身体を掻いていて、
寝床に入っても掻きむしるので、寝付くまで
私と主人が交代で身体を擦ってあげました。
家族全員が明け方まで眠れない日もありました。
とても学校に行ける状態ではないので、
学校側の許可を取って、休学させました」
3年生の秋に知人から紹介された。
その知人の息子も
アトピー性皮膚炎を患っていたが、
完治したという。早速、連れて行き、
全身を擦ってもらった。そのとき皮膚に、
明らかな変化が起こったという。
「赤紫色に爛れている
ジュクジュクした感じの皮膚を
擦っていたら、皮膚が
カサカサに乾燥した感じになっていき、
白い皮がポロポロ取れはじめたんです。
擦れば擦るだけ白い皮がどんどん取れて、
娘が起き上がって歩き出すと、
そこら辺に白い皮がざっと落ちて、
私が手でかき集めたら、
こんもりと山盛りになるくらいでした。
連日通って、そのたびに白い皮がたくさん取れて、
そのうちに新しい皮が出てきて、皮膚全体が
だんだん潤った感じになっていったんです」
数回の治療で痒みが治まり、
ぐっすり眠るようになった。1カ月後には、
炎症と掻き傷で半年間入れなかった
風呂に入れるようになり、
半年後に4年生として学校に復帰した。
顔の腫れも完全に消えて
元のかわいらしい顔に戻ったという。
「ALSと診断をされてからの数年間、
絶望の日々を送り、
紹介されたころは抑うつ的で、
妻に八つ当りすることも多かった。
しかし、治療を重ねるたびに
イライラすることがなくなり、
心が平和になっていった。
その理由を次のように表現している。
『難病に限らず、病に苦しむ
すべての患者にまず必要なのは、
心の安寧です。
治療後になんとも言えない爽快感を
味わえることに加え、
症状の改善を実感できることから、
治療をくり返すことで
加速度的に不安がとり除かれ、
心の平穏をもたらします』
『多大な恩恵を受けた』
という療法に関して、次のように述べている。
「体に力が入らないALSでも、療法を受けると、
全身に力がみなぎり、やる気が出て、
前向きになります。たぶん、多くの医師が
『運動機能の改善はありえない。氣のせいだ』
と言うでしょう。確かに「氣』のせいです。
でも、その『氣』は
身体を巡る生命工ネルギーなのです。
ドイツの波動医学では
『氣』の科学的研究にとりくんでおり、
その実態は量子力学の波動(振動エネルギー)
の一種と考えられています」
「逆子」
逆子が治らない妊婦に対し、
パソコン、携帯竜話、テレビ、電気毛布、
電気カーペット、電気便座などをなるべく
使用しないよう指導を開始した。
結果はすぐに現れた。四人の逆子の妊婦が、
それらの電気製品を可能なかぎり使用しない
生活を試みたところ、
わずかの日数で全員の逆子が治ったのだ。
その試みと結果について、こう説明した。
『四人の妊婦さんは、妊娠10カ月が一人、
妊娠9カ月が三人ですが、いずれも、
それまでいくら逆子体操をしても
治りませんでした。たとえば、
35歳の初産婦さんは、37週で逆子は複殿位
(胎児の膝が曲がり、あぐらをかいている状態)
でしたが、仕事でパソコン、携帯電話を
頻繁に使用しているキャリア女性です。
トイレの便座の電源を切り、パソコン、
携帯電話、テレビの使用を控えるよう指導し、
逆子体操を行ったところ、
5日間で頭位に戻りました。
24歳の初産婦さんの場合、33週の単殿位
(胎児の尻が下になり、
足が上向きになっている状態)でしたが、
28週から逆子体操を続けていても
治らなかったのに
、同様の指導で1週間後に頭位に戻りました』
まだ2カ月間の試みであるが、
逆子体操をしても治らない妊娠9~10カ月の
四人の妊婦の逆子が全員、すぐに頭位に
戻ったという結果は特筆すべきことだ。
8カ月くらいまでなら逆子が
自然に治ることもあるが、今回の四人の妊婦は
9~10カ月という週産期であり、
逆子体操でも治らなかった逆子だったので、
『すごいことだ』と驚愕したという。
この結果を踏まえ、
逆子の原因についてこう推測しているという。
『胎生期、特に妊娠5カ月から10カ月にかけて
胎児は60兆の細胞とともに、
ホルモン、神経、免疫系の間に、
オーケストラのごとく
調和とバランスを整えながら、
心身の最初の適応システムを構築していきます。
電磁波はそれを害する恐れがあり、
胎児は本能的にそれを感じて
電磁波から遠ざかろうとして
逆子になるのではないでしょうか』
妊婦一人一人が療法を受けて、
過剰な電磁気エネルギーを体内から取り除く
ことはなかなか難しい。
だが、電磁波を大量に発生する電気製品から
可能なかぎり遠ざかるということは、
誰もがすぐに実践できることだ。
妊婦はパソコン、携帯電話、テレビ、電気毛布、
電気カーペット、電気便座、IH調理器などを
なるべく控えたほうが賢明である。
(奇跡の医療より)